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サクです。
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パパとアツシ

パパとアツシ

このページは、僕のプロフィールを包み隠さず、赤裸々に暴露しているページです。恥ずかしい話しや、チョット衝撃的な内容も含まれていますが、最後までぜひご覧になってください。

 

サクの基本情報

・生年月日:1979年生まれ、2017年現在で37歳

・血液型、星座、星座:O型、牡羊座

・住んでいる地域:北海道札幌市(地元は札幌の隣の小樽市)

・家族構成:嫁とカワイイ息子の3人家族。
※2015年に購入した中古マンションに住んでいます。

・仕事:物販専業&情報発信(せどり&中国輸入)
※元々はITエンジニアとして働いていました。

・せどり歴は4年、メルマガは3年

・甘いものが大好き

・子供が大好き(自分の息子に限らず小さい生き物が好き)

・自分の息子はもっと好き(世界一カワイイと思ってます)

・仕事が趣味(無趣味人間なのはナイショ)

 

学生時代

 

学生時代は特に書くことがないです。(笑)クラスのどこにでもいる目立たない生徒でしたね。

部活は、

・小学校時代は野球(大のジャイアンツファンでした)
・中学校時代はバスケ(スラムダンクの影響で)
・高校時代は卓球(2か月で退部)

高校で卓球部を退部した後は、ひたすらバイトに明け暮れました。

・びっくりドンキー
・クロネコヤマト
・友人の親が経営しているラーメン店
・スーパーの品出し
・競馬場の警備員(専門学校時代)
・パチンコ店(好きが高じて)
・etc・・・

 

とにかくバイトが好きで、勉強はそっちのけで、ひたすらバイトをして、そこで稼いだお金をスロットで溶かすという。。どこにでもいるような、普通の高校生活を送っていました。なので、特筆して書くことはないです。(笑)

 

高校卒業後は建築の専門学校を2年で卒業し、札幌の設備会社に就職が決まりました。まぁ、順調といえば順調なんですが、ここから数年間が、悪夢のような時期の始まりでした。。

 

21歳~25歳 ニートまっしぐら

 

この当時のことはハッキリ言って思い出したくないですね。(笑) それくらい人としてかなりすさんだ人生を送っていました。せっかく就職した仕事も長続きせず、この期間だけでも、

 

・設備会社(1か月も持たなかった・・)
・パチンコ店員(1回目)
・某一部上場企業
・パチンコ店(2回目)
・缶製造工場勤務(1回目)
・携帯ショップ店員

 

今思うと何やってんのかね~と思いますが、当時は色々と悩んでいましたね。

 

人より優れている所があるわけでもないのに、「社会に出たら、俺は活躍できるぜー!」という何の根拠もない、漠然とした自信を持ち、その自信が、社会に出た途端に木っ端みじんに砕け散るという。。(笑)

 

今思うと、元々が不器用な性格で1つ1つ、じっくりコツコツ進めるタイプの人間が、いきなり社会に出て「なんでもできるぜー!」といったところで、上手くできるハズもなく、

 

・根拠のない謎の自信

それと、

・現実には何もできないギャップ

 

この2つの間で、必死にもがいていたんだと思います。暗黒期最後の方は、仕事もせずに、家にこもってひたすらネットをやり続ける、完全にニートでしたね。

 

ニートという言葉がまだ世の中で全く浸透していない状況だったので、ニートの先駆けでしたよ、間違いなく。

 

そんな、すさんだ人生を送っていた僕にも転機となる出来事が。

 

25歳 突然の父の自殺

 

僕が25歳の時のことですが、突然、父が自殺しました。

 

裏では色々とあったようですが、僕自身は何も気づくことができず、本当に、突然の出来事でした。詳しいことはお話できませんが、自殺した原因は「お金」でした。後から母から聞いた話ではそれほど大した金額ではなかったようですが、それでも、当時の僕ではどうすることもできない金額。

 

すでにお話したように、当時の僕は仕事を全くせずに家に引きこもっているニートだったので、

「25歳にもなって、自分の命をかけるほど困っている父親を助けることもできないのか・・・」

 

父が突然いなくなった喪失感と自分の無力さを嫌というほど感じ、1週間くらいは、何も手につかない状態でした。

 

それでも「これからは自分が母親を支えていかなければ!」という思いで、再び職に就くことを決意しました。

 

25歳~27歳 ニート脱出!社会復帰編

 

幸いなことに、以前働いていた「缶製造工場」の上司から声をかけていただき、もう一度工場で働かせてもらうことができました。「父親の自殺」が転機となり、新たな人生をスタートいうのも正直、言葉に詰まるところはありますが、

「母親を絶対に幸せにする!」

これが僕が父と交わした最後の約束です。そう思い、仕事を与えてくれた環境に感謝して、ただひたすらに、ガムシャラに働きました。

 

幸いに、上司や同僚にも恵まれ工場の業績も順調。繁忙期には工場は24時間フル稼働するため、勤務時間も1日20時間を超えることもありましたが、本当に無心で、ただひたすら働き続けましたね。

 

もちろん、残業手当も出たので、26歳当時としては、それなりの給料をもらっていました。

 

27歳 転職を決意

 

仕事も充実。母親も元気を取り戻し、また平穏な生活を取り戻しのたもつかの間。あれだけ順調だった工場の業績が見る見るうちに悪化してきました。

 

当時働いて工場では「缶」の製造がメインでした。ジュースや缶詰などで使う「アルミ缶とスチール缶」ですね。

 

ただ「需要は缶からペットボトルへ」 僕が働き始めたころからすでにその傾向はあったのですが、月日が流れるごとに、その影響は顕著に表れ始めて、缶の需要は、一気に落ち込んでいきました。繁忙期にはあれだけ忙しかった工場も見る見るうちに、稼働率が落ちていき、それと並行して給料も一気に下がっていきました。

 

製造工場って、年末年始はかなり長い休暇に入るんですよね。長いところだと、2週間近くとか。当時の私は日給制で働く契約社員だったので、工場の稼働がストップすることは、そのままストレートに給料に影響してきます。工場をやめる前、最後の1月にもらった給料は。「驚きの、手取り6万円でした」

 

父が亡くなった時に拾ってもらった工場の方には本当に感謝していますが、「これじゃ、母を養うのも無理だし、結婚だってできない。。」

 

当時の私は、付き合って1年半ほどの彼女(今の妻です)がいて将来の結婚については少しずつ話が出ていたのですが、当然、こんな雀の涙ほどの給料では結婚なんて、夢のまた夢。

 

「そろそろ、転職しよう」

 

私がそう決断するのも、自然な流れでした。

 

27歳~ ITエンジニア時代

 

転職を決意した私が次に選んだ仕事が、ITエンジニアでした。ITエンジニアを選んだ理由は「なんとなく、お金を稼げそうだから。(笑)」

 

特にやりたいことがある訳でもなかったので、とにかく新しいことにチャレンジしたいと思っていましたね。

 

自宅でパソコンに触れる機会は多かったものの、エンジニアとしてのスキルは、もちろんゼロです。それでも求人雑誌や、求人サイトを見つつ、ハローワークにも通いつめ、ようやく「未経験OK」の求人を発見し応募してみました。その時の面接ことは、今でもしっかりと覚えていますね。

 

面接を受けたのは、東京に本社がある会社で、新しく札幌に拠点を作るために新しい人材を募集している会社でした。

 

東京の会社といっても、当時の社長は、なんと北海道在住!
※週末だけ札幌に戻ってきていました。

 

なので、未経験でも地元の人間を新しく育てたいという方針で、資格やスキルに関係なく、幅広く募集をかけていたそうです。

 

で、面接当日。

 

・これまでの経歴
・志望の動機
・希望職種

 

普通の面接でよく聞かれるありふれた内容で淡々と進んだ最後に。

「最後に、何かアピールできることはありますか?」

 

と社長から聞かれた私がカバンから取り出したものは・・

「空き缶!!」

 

そう、私が工場で製造していた空き缶をもってきて、社長に見せたのです。

 

・ここはミリ単位の調整が必要で、
・塗装をするのもスキルが必要で、
・簡単そうに見えて、実は奥が深くて、

 

IT企業を経営する社長に対して、缶づくりの奥深さを必死でアピールする僕。(笑)

 

その熱意が伝わったのかどうか分かりませんが、27歳でIT業界全くの未経験の私ですが、なぜか、採用してもらうことができました!後から社長から聞いた話ですが、

「空き缶の話、面白かったねー!」

やはり、あの話が聞いたようです。もし、これから面接を控えている方がいたらなんでも良いので、自分をアピールするのはとても重要なことだと思いますよ! ※失敗しても責任は取りませんけどね。(笑)

 

かくして、IT業界に華麗な転職を遂げた私ですが、IT業界の仕事は、本当に楽しかったですね!

 

もちろん、分からないことだらけだし、そもそも、IT用語が分からないので「え、この人何を話してんの?」状態でしたが。(笑)

 

分からないことをひたすら調べつくして、それを実践して、毎日スキルが上がっていく。昨日よりも着実にレベルが上がっていくことが、本当に楽しくて仕方なかったです。

 

取り立てて才能がない私ですが、【知識欲】だけは人一倍強いと思います。役に立つかどうかは別として、新しい知識を吸収しようとする姿勢だけは、自分でもほめてあげたいなと。(笑) その知識欲の強さが、今の、せどりの実績にも一役買っていますね。

 

はい、話を元に戻します。

 

初心者にも関わらず、工場勤務時代よりも良い給料をいただいて、大変ではあったけど、順風満帆な日々を過ごしていました。

 

33歳 IT業界からの撤退&ネットビジネス参入

 

IT業界で順調にキャリアを重ね、その途中で結婚&子供も授かり、順調に過ごしていました。が、またここでふとある疑問が心の中に。

 

IT業界で少しずつキャリアを重ねスキルが必要な仕事も少しずつ任されてきたんですが、いつからか、仕事の内容が「シフト勤務」がメインになってきました。

 

一口にIT業界といってもその仕事の種類は様々で

 

・プログラマー
・システムエンジニア
・ネットワークエンジニア
・オペレーター

 

上流から下流まで様々な職種があります。当然、未経験で入社した私は最初は下流のお仕事を。そこで経験を積むことで、徐々に上流のお仕事をステップアップ。

 

と行きたかったんですが、いつからか「シフト勤務」をメインに仕事をこなす機会が多くなりました。要は「システムの監視要員」ですね。24時間を2交代制でチームを組み、システムのトラブルが発生した時に復旧対応やお客様への連絡を行う。

 

とても大切な仕事ではあるんですが、逆を言ってしまうとトラブルがないと何もやることがない」

 

トラブルがなく、安定してシステムを使っていただけることはお客様にとって、この上ないメリットではあるんですが、逆に、トラブルがないと私がやることがないという。(笑)

 

もちろん、そのシフト勤務でも今までと変わらず、しっかりと給料はいただいていましたが「この仕事をいつまで続けるのか?」

 

もし、今このページを読んでいる方の中で、IT系のシフト勤務をされている方がいたら気を悪くしないで欲しいのですが、

「なんて、生産性のない仕事なんだろう・・」そう思ってしまったわけですね。

 

自分から何かを生み出すわけではなく、ただひたすらに、トラブルが起こるのを待ち続ける。しかし、本当ならトラブルは起こらない方が良い。特に夜中の時間帯のシフト勤務はハッキリ言って地獄でした。

 

いくら日中に睡眠をとったとしても、夜になれば眠くなるのが人間というもの。でも、仕事中だから居眠りをするわけにはいきません。ただ、起きていてもトラブルがなければ、やることはほとんどない。

 

やることがなく暇な状態なら睡魔が容赦なく襲ってきます。でも、寝てはいけない。でも、やることがないので眠い。こんなシフト勤務を続けている中で、

「なんて、生産性のない仕事なんだろう・・」そう思ってしまったんです。

 

「そんな楽な仕事で給料をもらえるのに文句なんて言うな!」と思う方もいるでしょうが、僕には、この状況がどうしても耐えられませんでした。

 

さらに、深夜のシフト勤務で体のリズムが崩れ、体調が悪化したこともあり、妻と相談の上、退職することに決まりました。

この時、サクは33歳。
息子は生まれたばかりの6か月。

 

妻と6か月の息子を養うために、次に私が選んだ職種が。

 

33歳 ネットビジネス参入

 

ITエンジニア時代にも元々副業でせどりをやっていたこともあり「ネットビジネス」にはとても興味がありました。せどりをやる前には「トレンドサイトブログ」を運営していたこともあり、一時期、ブログからひと月に10万円ほどの報酬が入ったこともありました。※稼げたのは一瞬でしたけどね。(笑)

 

ただ、明確な方向性があるわけではなく、漠然とネットビジネスをやってみたいという気持ちでいたある日のこと、

 

「「せどり+情報発信」のセミナーが札幌で開催される!」

 

地方都市という土地柄もあり、せどりに関するセミナーが札幌で開催されることって、1年に1回あるかないか。しかも、 せどりだけではなくて、情報発信(ネットビジネス)のやり方も教えてくれるというではないですか!

 

知り合いのせどらーからセミナーのことを教えてもらった私は迷うことなく、速攻でセミナーに申し込みました。

 

セミナーは結構長かったですね。時間にして、約4時間くらいだったかな。正直に言うと、セミナーの内容は半分程度しか理解できていませんでしたが「これは、可能性あるな!」

 

ある種の感覚的なモノですが、「これはぜひチャレンジしてみたい!」そう思って、セミナー後の懇親会の席で、そのまま、スクールへ入塾してしまいました。※その場でクレジットカード決済!

 

あ、ちなみに。そのスクールの入塾費用は確か25万円ほどだったと思うのですが、妻には全く相談せずに、決断しました。そして、妻は今でもそのことは知りません。(笑) まぁ、その後上手くいったので結果オーライということで。

 

スクールに入塾してからも当然、全てが上手くいったわけではないですが、

 

メンターの教えを忠実に守り、コツコツと作業を続けたおかげで、情報発信で月収500万円を達成することができました。

 

月収500万円といっても、毎月これくらいの金額を安定して稼げているわけではないので、まだまだ努力は必要です。

 

ただ、ここまで読んでいただいたあなたに感じて欲しいことは、私も数年前までは、あなたと同じ、ただ一人のせどらーだったということ。

 

これまでの経歴を見ていただいた通り、私には、特筆した才能は何もありません。あえて言うなら、缶を作ることができるくらい。(笑) そんな私でも、

 

・せどりで実績を出して、
・そこから情報発信に進んで、

 

サラリーマン時代では絶対に得ることのできないとても大きな報酬を手にすることができています。

 

これからせどりをスタートする方にはイマイチ、ピンと来ないかもしれませんが、毎日コツコツと作業を継続していれば、その先には、あなたが想像もしていないとてつもなく大きな世界が広がっています。

 

だから、どうせせどりをやるなら、

「もうこれでもかというほど必死になってやって欲しい!!」

中途半端にやるくらいならい手を出さない方が賢明です。※だって、せどりって面倒なことが多いし。

 

ただ、正しいノウハウと方法でコツコツと作業を続けられる方なら、「せどりで絶対に成功できます!」だって、何のとりえもない私でも成功できたんだから。あなたが成功できなきゃ嘘です。

 

あなたが思っている以上に、せどりには大きな可能性が秘められているので、ぜひ、私と一緒に食品せどりにチャレンジして欲しいと思っています!

 

うーん。簡単に書くつもりがメッチャ長くなりました。(笑)他にも思い出したら追記しておくので、たまにのぞきに来てみてください!

 

それでは。
ブログをごゆっくりとお楽しみください♪